社会貢献はうさんくさいのか

昨日、twitter上で「社会貢献」とか「社会起業」に関して、気になる発言をされていた人がいたので、
今日ここであらためて振り返ってみたいと思う。

その人が言うには、
「社会起業とかわざわざ『社会』ってつけているけど、事業やっている限り、他の起業と何が違うのよ。自分たちはいいことやってますみたいなのが、鼻につく。大体、途上国に自分たちが『〜してあげる』とかいう思いが、上から目線すぎて嫌だ。私みたいな意見の人って世間にはけっこういると思うんだけど」

みたいな内容だった。
うん、言ってることはよくわかる。確かにほんとに「〜やってがえたい」とか「かわいそうなあの人たちのために!」とか思ってやってたら、確かに鼻につくわな。
ただ、私には上記の意見に反論したいことが2点ある。

まず1点目。どういう思いでやってるにしろ、上記意見の女性は何もそのためにやっておらず、
現在事業をしている方々は身を粉にしてやっているのに、やってない人がやってる人を非難しちゃあかんと思うのよね。どんな思いでやってるにしろ、結局それが社会のためになってるんやったらいいやんと私は思う。

2点目。「社会起業」とか「いいことを仕事にする」とかNPO関係の本には数多く書かれているけど、
それってマスコミの人たちが彼らを勝手にパッケージしただけで、本人たちは「社会起業家になろう」と思ってなったわけじゃなくて、結果的にそうなったってだけだと思うのよね。私の数少ない社会企業家の方々のお話を聞いた経験から思うのは、「かわいそうなあの人たちのために何かしたい」じゃなくて、「自分がするべきことはこれなんだ」という使命感を感じている気がする。

まあ、ただ社会貢献って私もあんま好きな言葉じゃないし、最近はそれがすごい上滑りしている感が否めない気がしている。社会貢献って言葉って、当事者意識を感じられない。
あと、ハードルをすごい高く感じる。日本人は控えめだから、途上国に何カ月もボランティア行ったりした経験とかがないと、自信もって「私社会貢献してます!」って言える人いないいんじゃないかな。

世界にはまだたくさんの社会問題があるってことをたくさんの人に伝えることは必要だけど、
すべての人がすべての問題に関心を持つ必要はなくて、自分が関心を持てたテーマにだけ
注力して何かアクションしてみる機会ってのも大事やと思う。

最近こんなネタばっかりです。iphoneアプリを作ってみたいけど、macのOSが必要と知り、愕然としている今日この頃です。mixiアプリ使ったことないけど、そっちに鞍替えするかな…